僕がフェイスデザイナーになると決めた日

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7月3日に河野先生との無料相談のお電話の時に、

僕は、

フェイスデザイナーになることを決めました。

 

そうそう、そもそもお前は誰なんだと言われそうですので、

もちろん、そうじゃない方の方が多いとは思いますが、

自己紹介を勝手にしたいと思います。

 

今は、エステ(痩身、脱毛)のサロンを埼玉県北本市で今年の5月7日より、やっております。

その前は、自宅の一室でこっそりとやっておりました。

 

僕は、元々もう17年前になりますが、トヨタで整備士をしてました。

 

なぜ、自動車整備士になったのかというと、生まれた頃から、実家を継ぐことが決まってました。

実家は、自動車修理の工場です。

ここに生まれたから、選ぶ権利は、僕には、その時は、なかったのです。

なぜなら、そのように育ててもらってたのです。(今となっては、そう思うことにしています。)

 

ですから、高校卒業後、迷うことなく自動車の専門学校に行きました。

そして、実家を継ぐための修行として、トヨタに勤めました。

トヨタに勤めて3年経った頃(当時23歳)、親父の病気(くも膜下出血の恐れがある)が、検査の時に発覚しました。その時、僕は、家業を継ぐために、実家で働くことになりました。(今は、親父は元気です。)

その時、

 

『これから、一生ここで、この仕事をするんだなあ』

 

と思っていました。

 

数年過ぎると、自分でも何かやってみたいという意識が出てきました。

そこで、たまたま出会ったのが、キャンピングカーの販売のお仕事です。

しかし、販売を始めて、1年後に

 

リーマンショック

 

が起きました。人生は、なんて、残酷なんだと思いました。

 

その後、色々あって(またの機会にでも)、震災の影響のあり、お店を畳むことになりました。

お客さんに、お店を畳むことを伝える電話が2週間ほどできませんでした。

それは、申し訳ない思いで、電話できなっかたです。

 

この時は、仕事を辞めるときが辛いことだと感じました。

 

その後、色々探すも中々、本気のものに出会えず、ダラダラと生きていしまってました。

 

 

なぜ、本気なものを探しているのかというと、

僕は、中学3年の時に

 

病気が見つかりました。

 

マラソン大会の途中で、

 

倒れ、

 

何の病気かも分からず、

親には、死を覚悟してくださいとの医師から連絡もあったそうです。

 

入院中は、足が動かなかったこともあり、

車椅子人生になるかもと思っていました。

 

その後、1ヶ月の検査の後に、病名が分かりました。

筋肉がある条件で溶けるということでした。

 

僕は、その日より、人生が変わったのです。

 

やりたいことができない自分を目の前にしました。仕方のないことでした。

それを続けるなら、死というものを考えなければ、いけなかったのです。

 

『なんで、僕が、なんで、僕だけ、、、』

何度も自分に、言い続けました。自殺を考えもしました。

今でも、最悪の時期だったと思います。

 

 

しかし、変わることは、当たり前ですが、できないのです。

 

なぜなら、原因が不明だからです。(病名はついたのですが。)

こんな体でもあるので、

人生、本気で楽しみたいといつも思っていました。

 

しかし、中々、神様は出会わせてくれなかったのか?どうなのか?

 

その後、ある方の紹介で、エステのお店をやってみることにしましたが、やはり

本気で打ち込むことができずにいましたが、お客様の声を聞いていると

顔の悩みを相談されることがよくありました。

 

どうすることもできないんだよなーうちでは、と思っていました。

諦めてもいました。

 

そんな中、たまたま出会った方に

小顔矯正のセミナーいいよーって言われ、

行ったのが6月29日の東京初のセミナーでした。

 

このセミナーで

 

衝撃を覚えました。

 

また、この続きは、、、。

 

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